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• 木曜日, 8月 17th, 2017

台湾の台所と呼ばれる雲林は今でも農業も盛んですが、日本統治時代の建物が大切に残されて田んぼ以外にも様々な魅力を見せてくれる場所があります。そしてもうひとつ忘れてはいけないのが台湾での伝統的な民間ドラマ「布袋劇」といいます!台湾語でポテヒと呼ばれ、民間の大衆文化として学べられる雲林布袋戲館が設立されています。ここに来たら布袋劇をじっくり学ぶことができます。館内入って右手に代表的な劇団の歴史や簡単な紹介、また写真や図など素人にも分かりやすく説明がありますし、左側には布袋劇に使われる人形や衣装、楽器などが展示されています。人形と言っても役柄によって服装や表情もかわりますので、布袋劇の種類によって大きさも様々でとても意味が深いです!布袋劇や歌仔戲によく出てくる役割が多いため、顔にはきれいなペイントが施されています。ちなみに6つの役柄について説明していたことにもも勉強になりました。台湾で育てられてきた私も子供の頃にはよくテレビで見ました。

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• 金曜日, 7月 28th, 2017

古くから昔から茶葉や乾物・漢方薬、布地の問屋街として栄えて来た迪化街は、つい最近、台北市が掲げた都市再開発計画により、どんどんと新たな姿に変貌を遂げているエリアになりました。そんな進化し続ける迪化街に2迪化二0七博物館が新たに登場しました。昔ながらの乾物屋さんや布地屋さんが少しずつ姿を消してしまい、代わりにMIT(台湾製造)グッズを販売する店やオシャレなカフェレストランが増えつつありますので、このエリアはついに博物館を成立されました。古い迪化街と新しい迪化街を繋ぐそんな素晴らしいスペースには迪化街の歴史と文化、そして生まれ変わって行く街並みはとても芸術性の高い建物はいっぱいあります。この辺は元々の持ち主により2006年に売却に出されて台北市の文化資産として保存の対象となり、建て替え、また改装は簡単にはいかなくなりました。歴史を保存して、広くに開放しようという同様の考えがあり、生まれ変わらせたのがこちらの迪化二0七博物館になりました。

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• 金曜日, 7月 21st, 2017

1995年5月8日に、タイのチェンマイで喘息による発作を起こしたテレサテンは、42歳の若さで亡くなりました。当時私もまだ子供だったですが、大勢な方々は泣いた映像はテレビに放送されて、やはりものすごく影響がある用です。死後多くの霊園が土地提供に名乗りをあげましたが、最終的に遺族が山に囲まれ、海も望めるロケーションを誇る場所を選びました。霊園の名前は金宝山と言います。テレサは今ここで眠っていますが、お墓にはいつも無数のお花が手向けられましたので、今でもその人気がありつつですね。私たちもこのきっかけで合掌しました。ちなみにテレサの本名は鄧麗筠なのでお墓は、本名から一文字取って筠園と名付けられています。墓石は南アフリカの大理石、そして、棺の蓋には薔薇がありました。テレサのお墓の前は記念公園にあります。中には音符をかたどるように植えられたお花の中でテレサが気持ち良く歌っているようなゴールドの像があり、彼女の歌もずっと放送されてまるで巨大ピアノも音を奏でています。

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• 金曜日, 6月 30th, 2017

彰化から豊原の間に繋いてる昔の街道とも言える萬和路は、なだらかな湾曲もある狭い道で古い町のままで保存されて、交通量はかなりあります。その昔「犁頭店街」と呼ばれたのは、当時牛車を引く人たちが行き来によくして、その人たちのために農機具や牛用の道具を売る店が多かったからこのような名前になりました。今でも当時の流れを引く店が一軒残り、祖先から受け継いできた伝統を受け継いでいきたいという若者が斧造りに携わって昔の町風景を見たいならとてもおすすめの場所です。昔の街は、寺廟が中心になって栄えてきたと言われて、萬和路の入口にも萬和宮、後方には受験の神様文昌宮があり、受験のシーズンだったらとても賑やかです。
老街に入ると、昔はお供え物を中心に売っていた林金生香という店がありますが、今は5代目が継ぎ、昔の街の様子や店の歴史を伝える会館を作り、この老街を盛り上げようとして代表的なシンボルです。台中住民に言わせると、中心部より食べ物や買い物などが安くて、最近は「老街」を好む若い観光客も増えて台湾の文化を触れ合えます。

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• 月曜日, 6月 19th, 2017

草嶺古道は1800年代清国が統治されてるために開いた官道です。かつて台北周辺は淡水庁と言われて宜蘭地域は噶瑪蘭庁と一緒に言われました。台北地域と宜蘭地域を往復する道は淡蘭古道と呼ばれる道がな何個も作られて、その中の一つが草嶺古道です。

台北からは電車に乗って貢寮駅または福隆駅から歩きます。草嶺古道の峠を越えたら、太平洋側の電車は大里駅や大渓駅に行ったら、電車に乗って帰ることができます。福隆駅から大里駅までは約9kmのコースでは少し汗をかいた後に太平洋の絶景を見る気分はとってもいいお散歩道です!15分くらい歩くと、石畳の階段がついた登山道入口に着いてここには草嶺古道の由来やコースの説明の案内板があり一段階のお休みできます。奥に見えるのは南国を象徴する榕樹という木が立派に立っています。ここから古道はほとんど石畳の道になってゆっくり登っていって少し急な坂もありますが、ほとんどはさほどきつくない傾斜です。

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• 水曜日, 5月 31st, 2017

台湾は昔からサトウキビが主な農産品でしたので、この建物は古い歴史が持って日本によって新式の製糖工場として作られました。台湾人は台糖と呼ばれています。砂糖が国外販売品でトップを占めましたので、現在製糖業は国の主要な産業ではありません。最高時では国外売り上げの半分滋養を占めていましたが、当時建てられている事務所や工場内は、当時では相当の資金をつぎ込んだ場所でした。現在でも十分観賞に値する建造物となって、台湾に帰った際に辿り着きました。

時代の流れと共に現在稼動している製糖工場も少なくなってしまいましたので、どこの工場でもそのノスタルジックな建築と現地で販売される砂糖の甘さが台湾人の懐かしいことをひきつけています。

製糖工場の建物は現在博物館となりました。今回来たら外でたくさんを写真を撮って、中にも入ってみました。ここでは、サトウキビが工場に運送されてきてから、どのように圧縮された結晶になり、糖分を分離していたかなど、どのような作り過程をいろいろ知ることができます。