Archive for the Category ◊ 歴史、文化のところ ◊

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• 金曜日, 7月 21st, 2017

1995年5月8日に、タイのチェンマイで喘息による発作を起こしたテレサテンは、42歳の若さで亡くなりました。当時私もまだ子供だったですが、大勢な方々は泣いた映像はテレビに放送されて、やはりものすごく影響がある用です。死後多くの霊園が土地提供に名乗りをあげましたが、最終的に遺族が山に囲まれ、海も望めるロケーションを誇る場所を選びました。霊園の名前は金宝山と言います。テレサは今ここで眠っていますが、お墓にはいつも無数のお花が手向けられましたので、今でもその人気がありつつですね。私たちもこのきっかけで合掌しました。ちなみにテレサの本名は鄧麗筠なのでお墓は、本名から一文字取って筠園と名付けられています。墓石は南アフリカの大理石、そして、棺の蓋には薔薇がありました。テレサのお墓の前は記念公園にあります。中には音符をかたどるように植えられたお花の中でテレサが気持ち良く歌っているようなゴールドの像があり、彼女の歌もずっと放送されてまるで巨大ピアノも音を奏でています。

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• 金曜日, 6月 30th, 2017

彰化から豊原の間に繋いてる昔の街道とも言える萬和路は、なだらかな湾曲もある狭い道で古い町のままで保存されて、交通量はかなりあります。その昔「犁頭店街」と呼ばれたのは、当時牛車を引く人たちが行き来によくして、その人たちのために農機具や牛用の道具を売る店が多かったからこのような名前になりました。今でも当時の流れを引く店が一軒残り、祖先から受け継いできた伝統を受け継いでいきたいという若者が斧造りに携わって昔の町風景を見たいならとてもおすすめの場所です。昔の街は、寺廟が中心になって栄えてきたと言われて、萬和路の入口にも萬和宮、後方には受験の神様文昌宮があり、受験のシーズンだったらとても賑やかです。
老街に入ると、昔はお供え物を中心に売っていた林金生香という店がありますが、今は5代目が継ぎ、昔の街の様子や店の歴史を伝える会館を作り、この老街を盛り上げようとして代表的なシンボルです。台中住民に言わせると、中心部より食べ物や買い物などが安くて、最近は「老街」を好む若い観光客も増えて台湾の文化を触れ合えます。

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• 月曜日, 6月 19th, 2017

草嶺古道は1800年代清国が統治されてるために開いた官道です。かつて台北周辺は淡水庁と言われて宜蘭地域は噶瑪蘭庁と一緒に言われました。台北地域と宜蘭地域を往復する道は淡蘭古道と呼ばれる道がな何個も作られて、その中の一つが草嶺古道です。

台北からは電車に乗って貢寮駅または福隆駅から歩きます。草嶺古道の峠を越えたら、太平洋側の電車は大里駅や大渓駅に行ったら、電車に乗って帰ることができます。福隆駅から大里駅までは約9kmのコースでは少し汗をかいた後に太平洋の絶景を見る気分はとってもいいお散歩道です!15分くらい歩くと、石畳の階段がついた登山道入口に着いてここには草嶺古道の由来やコースの説明の案内板があり一段階のお休みできます。奥に見えるのは南国を象徴する榕樹という木が立派に立っています。ここから古道はほとんど石畳の道になってゆっくり登っていって少し急な坂もありますが、ほとんどはさほどきつくない傾斜です。

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• 水曜日, 5月 31st, 2017

台湾は昔からサトウキビが主な農産品でしたので、この建物は古い歴史が持って日本によって新式の製糖工場として作られました。台湾人は台糖と呼ばれています。砂糖が国外販売品でトップを占めましたので、現在製糖業は国の主要な産業ではありません。最高時では国外売り上げの半分滋養を占めていましたが、当時建てられている事務所や工場内は、当時では相当の資金をつぎ込んだ場所でした。現在でも十分観賞に値する建造物となって、台湾に帰った際に辿り着きました。

時代の流れと共に現在稼動している製糖工場も少なくなってしまいましたので、どこの工場でもそのノスタルジックな建築と現地で販売される砂糖の甘さが台湾人の懐かしいことをひきつけています。

製糖工場の建物は現在博物館となりました。今回来たら外でたくさんを写真を撮って、中にも入ってみました。ここでは、サトウキビが工場に運送されてきてから、どのように圧縮された結晶になり、糖分を分離していたかなど、どのような作り過程をいろいろ知ることができます。

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• 月曜日, 5月 22nd, 2017

私設の別荘の中に一、二を争う広大な敷地に建つご自宅には私設美術館の「寄暢園」を設立されています。中には約10万点というコレクションがあってそして現在も倉庫を整理されていますが、何年かかっても終わらなくていたようです。さっそく見学へ入りました。確かに1階と2階には膨大な数のコレクションがあって倉庫らしき場所にも足を踏み入れさせていただきました。整理中ということは、まだ箱の中品々が山となっていたことが分かりました。文化革命の頃に香港から運んだ茶器など、主人の両親がお茶が好きなのでその言葉に目を輝かせていました。後は浮世絵の掛け軸などは日本の美術館からそのまま引き取ってきれいに整理されています。すごくいいものはたくさん集めてまとめて引き取ってくださったようで、ほぼすべてが売り物ですよ。言われ見てみると、確かにどちらにも丁寧に値札がついています。寄暢園はは美術館でありながら、骨董ショップでもあります。

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• 金曜日, 4月 28th, 2017

外観は日本の帝冠様式の格式高い雰囲気である伝統的な瓦屋根や壁のさまざまな文様や八角や桃型などいろいろな形をした窓などなど、この歴史博物館は見所がたくさんあります。歴史博物館の係の方にも建物に価値があるんですと言われました。ちなみに建物自体も展示物なんですね。この建物は2004年には高雄市の市定古跡と指定されて、日本の菊模様や梅模様の装飾もありますよ。直接に足を運んできてどこにあるのか探してみたら、とてもおもしろいですよ。

歴史博物館内でよく目にするのは打狗(ダーゴウ=犬を殴る意味です)という名前、それは高雄の昔の名称です。当時の原住民平埔族がこの地をダーゴウと呼んでいたことから、後の漢人が打狗と名づけ、後の日本統治時代に犬を殴るなどとは、都市名としてふさわしくないとのことで、よく似た読み方の高雄(タカヲ)に表記に変えたそうです。この都市の名付け親は実は日本人だったんですね。現在でも高雄の漢字表記で読み方がガオションとなっています。